2008.06.26 「学び」のひとコマ
「縄跳びしようか!」「まぜて!」と長縄とびを始めたところ、年中児の他に年少児も集まって一緒に縄跳びをすることとなりました。当然、年少児に合わせて縄のまわし方を加減してあげるところなのですが、年中児の跳び方を観察しているうちにリズムをつかんでしまったらしく同じまわし方を要求してくるようになりました。年令差は経験の差となるのでしょうが、お手本の姿を観察していたことが「学び」となりました。「熟練した経験者と未熟なものとの出会いの場に学びは発生する」というように経験不足の子どもにとっても年長者の姿は学ぶことが多く、逆に自分達の姿を見せて伝えるという経験ができた年中児にとっても「学び」が得られたことと思います。「子どもは子どもの中で育つ」という言葉が再確認できたひとコマでした |
2008.06.25 こどもが想いを伝え合うということ
子ども達は園生活を自分で考え、快適なものにできるように工夫しています。時には誘われてもやりたくない遊びがあったり、友達と一緒にやりたいことがうまく噛合わない時もあります。さぁ子ども達が問題に直面しました。事件ですか?いえ、この時こそ子ども達が成長するチャンスです。子どもはじっと考えます。「僕はどうすればいい?」「あの子にどうしてあげればいい?」そして答えが出ます。「○○ちゃんのためにとっておいたよ。ここにおいでよ」と誘ってくれる友達に気が進まなかった遊びにも興味が沸いて仲間に入れるようになった。また、約束を守れなかった(都合で破ってしまった)時も相手の気持ちを聞き入れ、自分の思いも伝えることで、お互いの立場の理解はできます。次にどうしたら良い関係を保てるのかということも子どもたちは必死に考えます。結果を急ぎ、早く解決させようとするのは大人の「都合」だと思います。じっくり時間をかけてあげれば子どもは良い答えをきちんと考えることができるのです。 |
2008.06.24 必要と不必要2
さて、年長児が数字を書いていました。続けて書くので、数字の区切りが見難いものが随分とありました。自分が書いて、自分で見るので数字の区切りが必要ではありませんでした。しばらくして何人かの記録票を見せてもらいました。やはり桁が多くなってきたものは読みにくい票でした。すると一人が「先生、僕の票はちゃんと読み易いよ」といって自分の記録票を見せてくれました。なるほどその子の票には数字ごとに「、」と打ってあり、桁が多くても読み易い物でした。自分にとっては「不必要」だけど他人に対しては「必要」と気づいたことで工夫したものでした。 やがて「点をつけた方が見栄えがよく自分も楽に読める」ということになり自らの体験が生きたエピソードでした |
2008.06.23 必要と不必要
人の考え方は様々で生活の進め方でも次の遊びをする時に使っていた物を片付ける子と自分の周りに全て揃っているほうが安心といって片付けをしたがらない子もいます。どちらが正しいのでしょう。どちらも正解です。次を考えて環境を快適にしていこうと思えば片付けが出来ているほうが後々楽ですし安全です。片付けをあまり重要と感じない場合は・・きっと自分にとって不都合を感じていないのでしょう。だって大人だってお寿司を食べる時に箸を使わないで手で食べる人も少なくないでしょ。例えが適切でないかもしれませんが、もし生活の中でのんびりしていたり片付けが苦手という子がいたなら、「今、その子にとって必要と感じてはいない。だから行動していない」とも受け取れると思います。子どもにとって「必要」か「不必要」かを見極めながら、少しずつ「必要」について説いていければよいのではないでしょうか? |
2008.06.19 見る・聞く・感じるということ
年長組の「茶道体験」は子ども達にとって非日常的なことが多いかもしれませんが、昔の暮らしに存在してずっと続いている知恵でもあります。現代では「畳」「床の間」が無い家庭も少なくありませんが、日本人の暮らしには身近なものばかりです。子ども達はその体験をとても楽しんでいます。床の間の花を拝見したり、お菓子を取り回したりする作法のひとつひとつが意味のあることだと気付くととても熱心に取り組んでいます。お茶室ではほとんどおしゃべりが必要でなくなります。自然に自分の五感で静かな雰囲気を「見て・聞いて・感じて」と幼い子ども達は自ら楽しんでいました。この活動を通して彼らの内面の力に更なる期待を感じました。 |